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イスラム教とは?
著者 F. カマール
本からの抜粋 やさしく解き明かされるイスラム教
イスラム教は人の生き方の教えです。簡単で、実際的で、とてもわかりやすい教えです。
5本の柱
イスラム教は5本の柱で支えられています。
その1
「神以外にいかなる絶対者も存在せず、ムハンマドは神の使者である」と言い切ること。イスラム教は、まず第一にクルアーン(神の声)と呼ばれるイスラム教徒のための聖書に基づいており、第二に真正なスンナ(預言者の戒め)に基づいています。
注:ウラマー (イスラム教の学者たち)は、歴史的にムスリム社会における指導者として、クルアーンと預言者ムハンマドの スンナ(行いと戒め)を説明する(タフシール)指導者としての重要な役割を演じてきました。 しかし、彼ら自身には過ちを許したり、善(ハラル)、悪(ハラム)を定義したりする権威はありません。むしろ、彼らは様々な考えを解き明かしたり、原理を明確にしたりする役割を果たすだけです。イスラム教には聖職者は存在しません。自分と神との間に何の「仲介者」も必要としません。
その2
サラー:1日5回神に祈りを捧げること。
その3
ソーム:ラマダーン(イスラム暦の第9の月)のあいだ、断食をすること。(イスラム教におけるラマダーン中の断食の目的は、自分の罪を償うためではなく、タクワ ―すなわち神の存在の自覚を養うことです。)
その4
ザッカート:貧しい人に施しをすること。
その5
ハッジ:もしある人が巡礼のための資金があり健康に恵まれたていたら、生涯に一度はメッカにお参りをすること。注:神は自らが創り出した者から何物も「求め」たり、「要求」したりはしないということを認識することが重要です。神は「欲しがる神」ではないのです。神が何かを求めていると解釈することは、神の力と偉大さに対する誤解です。したがって、例えば、礼拝は礼拝者が自分のためにするものであり、神のためにするものではありません。そして、祈りは崇拝者を鍛錬し、清め、そして高める行為なのです。
イスラム教の信仰箇条
イスラム教には6つの信仰箇条があります。
その1
神を信じること。
その2
天使たちを信じること。
その3
神の預言者たち(例えばアブラハム、ノア、ヤコブ、ヨセフ、ヨブ、ヨナ、ダヴィデ、ムハンマド、ソロモン、モーゼ、およびイエス)を信じること。
その4
神が啓示した文書(例えばトーラ、ダヴィデに下された詩編(ザブール)、イエスに下された福音書(インジール)、およびクルアーンを信じること。(ただし、ムスリムの信仰によれば、元通りの、純粋な形のまま今日に伝わっているのはクルアーン[Qur’anまたはKoran]だけです。)
その5
復活、最後の審判の日、および天国と地獄を信じること。
その6
神は全知全能の存在であることを信じること。
卓越性(イーサン)
イスラム教のもう1つの重要な特徴は、「イーサン」(卓越性または事を成すに当たって最も善く、最も美しい方法で行うことを意味する)です。
ムスリムは、たとえ実際に神を見ることができなくても、神により常に見られていると感じているので、最も優れた最も美しい生涯を送ろうとするのです。たとえあなたが技術者、医者、主婦、レンガ職人、街の清掃人であったとしても、あなたは常に最善の努力をしなければなりません。
例えば、会社の社長の前ではできるだけ立派に振舞おうとするのが普通の人情ではありませんか? だとすれば、そんな単なる現世の人でなく、この宇宙の王座に座る絶対的な存在者の前に立ったとき、人はどのように振舞うべきでしょうか?
ムスリムが現世を旅する上においては、最も優れた最も美しい生涯を送ろうと常に努力すべきなのは当然です。事実、それこそがムスリムであることなのです。[1]
ムスリム(イスラム教徒)とはどういう人でしょうか?
もしあなたが心の底から5本の柱と信仰箇条を信じているならば、それだけであなたはムスリム(イスラム教徒)なのです。ただそれだけのことです。
まとめ
ムスリムにとって、イスラム教は非常に単純で、実際的で、バランスのとれた宗教です。人は神と直接に交信します。その間には僧侶のような仲介者を必要としません。また、世俗的な領域と精神的な領域の間にもなんら厳しい境界は存在しません。その良い例を挙げれば、例えば一部の宗教では聖職者階級において聖職者は独身であることが慣習となっていますが、それに反してイスラム教ではその
教えに従う者たちの間の結婚はむしろ推奨されており、「結婚はディーン[神への帰依、信仰]の半分を占めるものである」(バイハキの言)とはイスラム教徒の間では良く知られた言い伝えです。ほとんどのムスリムのリーダーたちは既婚者です(子供もたくさん作っています!)。したがってイスラム教徒たちは、自分たちの宗教を実際的なものであり、それは神のお恵みによるからであると思っています。
宗教は生活から分離した特別なものではなく、むしろ日常の生活の一部として存在しています。イスラム教は抽象的なものではなく、普通の人が充分把握し理解できる、完全な生き方そのものなのです。イスラム教は、活発なイスラム教コミュニティの中の社会生活のダイナミックな核心を成すものです。
イスラム教徒に聞けば、イスラム教に従うことは自然な本能的な生き方に戻るようなものであり、その結果として平和で魂の充足も得られると言うでしょう。
質問:
ムハンマドは神が人類にお送りになられた唯一の使者でしょうか? 他の土地AやBではどうなのでしょうか? それらの土地にも予言者がお送りになられたのでしょうか?
予言者ムハンマドは神が送られた唯一の使者ではありません。神は長い歴史のあいだに様々な警告者をお送りになりました。
そしてげに我らはすべての国に使者を立て(宣言した):神に仕えよ、そして偽の神を遠ざけよ。クルアーン 16:36
クルアーンにはアブラハム、モーゼ、イエスを含む何人かの予言者が言及されています。しかし、多くの者は我々には知られておらず、時間と共に消え去っています。
我らは汝らに一部の使者や、また他の者についても話を聞かせた。我らは...クルアーン 4:164
ムスリムは予言者ムハンマドを特に強調していますが、それは他の預言者たちも神のメッセージを伝えていますが、それらのメッセージは失われたり、原型が損なわれたりしているからです。ただクルアーンだけが完全な純粋性(アラビア語で)を保っているのです。
ムハンマド(預言者の「紋章」としても知られています)は神の最後の預言者で使者(預言者によって彼の説教のなかで告げているとおり)です。
注:しかし、新しい預言者ではなく、戻ってくる預言者であるイエスはがやがてもどってくることは、預言者ムハンマドのいくつかの言い伝え(ハディース)で言及されています。
イスラムは「新しい」宗教ですか?
そうでもありません、イスラムはその出現時の社会を反映した新たな律法も含んでいるかもしれませんが、唯一の神、天国と地獄、および最後の審判の日の核心部の信仰はアダムの時代のものと同じです。その点については、それは核心となる人間の信仰であり、人類の歴史の中で生き抜いてきた宗教です。たとえば、モーゼ、イエス、ノア、およびアブラハムはすべて神の預言者であるとイスラム教徒は信じています。
注:
イスラム教:世界の主要宗教のひとつの名称。
ムスリム教徒:イスラム教を信じる人たち。
クルアーン:ムスリム教徒たちの聖典。ムスリム教徒はクルアーンを大天使ガブリエルを介して預言者ムハンマドにお示しになった神の正確な言葉であると信じています。それはアラビア語の文書としてのみ存在していますが、他の言語を使うムスリム教徒たちは、翻訳を通じて彼らの言語で意味を知ることができます。
ハディース:預言者ムハンマドの言葉を集めたものです。
スンナ:預言者ムハンマドが生前に実践していた慣行です。
章末の注
[1] アン-ナワウィーの40のハディース、ハディース #2でのイスラム教の説明において、5本の柱、信仰箇条およびイーサンについて言及している。(人間の存在の完成点に向かう旅の中で、道しるべとしてそれらを意識することについても言及している)。
これは本の抜粋です やさしく解き明かされるイスラム教
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